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【久留米市】草野町 草野氏の守護神「須佐能袁(すさのお)神社」行き方とご朱印

須佐能袁神社 和柄のイラスト 久留米市の神社
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桔梗猫
桔梗猫

久留米市草野町の須佐能袁(すさのお)神社にお参りしました。彫刻がきれいで立派な楼門もあります。歴史も深堀りするととても興味深いです。駐車場案内もあります。

須佐能袁神社とは

須佐能袁(すさのお)神社は名前の通り、素戔嗚尊(すさのおのみこと)をご祭神としてお祀りしています。
主神を素戔嗚尊、拝殿の向かって右の座に天照大神を、左の座に菅原道真公をお祀りしています。

素戔嗚尊は厄除け開運の神様です。天照大神は言わずと知れた神々の中の最高神で、太陽神でもあります。菅原道真公はもちろん学問の神様ですね。

建久8年(1197年)源平合戦において平家討伐に軍功があり、源頼朝公から筑後国国司に任じられていた草野太郎永平が創建したといわれています。
もともとは草野祇園社といい、草野家の守護神として代々祀られてきたそうです。

その後豊臣秀吉の九州平定の時、400年続いていた草野家が滅ぼされ、草野町民の手によって守られてきました。
明治4年、神仏分離の政令によって今の須佐能袁神社に改名されました。

アクセスと駐車場案内

  • 福岡県久留米市草野町草野443-2
  • 0942-47-0531
  • 0942-30-9322(久留米市文化財保護課)
  • 西鉄バス 草野経由田主丸行25番「草野上町」下車徒歩2分
  • 久大本線JR「筑後草野駅」から徒歩7分
  • 県道15号浮羽草野久留米線沿いにあります。
  • 駐車場は本殿のある境内内にあります。神社の横に道がありますので道なりに行くと本殿に入る入口があります。そこが駐車場入り口にもなっています。
  • 県道沿いの鳥居から入ると、急こう配の太鼓橋を渡らなければいけませんので、足の不自由な方やお年寄りの方等は、本殿の横に駐車場の出入り口がありますので、そちらからお参りされた方がいいと思います。

久留米市内から西鉄バスで

久留米市内から西鉄バスで行くには、まず西鉄久留米駅から25番の「草野経由田主丸行」のバスに乗り「草野上町」で下車します。乗車時間は少し幅がありますが30分から50分くらいみていただければいいでしょう。運賃も480円から510円と時間によって違いがあるようです。
バス停からは徒歩2分で到着です。

久留米市内からJRで

JR久留米駅からは久大本線「日田・豊後森・由布院・大分方面」の普通列車に乗って「筑後草野駅」で降車します。所要時間は25分ほど。380円です(片道)。
駅からは徒歩7分です。

境内を歩く

鳥居

左は夏の須佐能袁神社。右は秋の紅葉の須佐能袁神社です。

太鼓橋

太鼓橋
太鼓橋

鳥居をくぐると太鼓橋があります。大きさは小さいのですが、かなりの急こう配で。元気な方なら大丈夫ですが、お年寄りの方や足が不自由な方は渡るのは難しいと思われます。神社の隣りの道から本殿の所にある駐車場へ行けますので、そちらへ車を乗り入れて橋を渡らずにご参拝していただくのがよろしいかと思います。

楼門

桔梗猫
桔梗猫

いやこれは立派な楼門です!細かい彫刻がなされていてこれはすごい。
大迫力です。

屋根の下から垂木という材木が二段出ています。これが扇状に広がっているので二重扇垂木と呼ぶそうです。

本殿

須佐能袁神社本殿
須佐能袁神社の本殿

本殿です。なぜか真正面から写真を撮っていません。すみません。
本殿と楼門に彫られている彫刻は干支の十二支ではなく二十四支とのこと。
でもそれを確認するのは難しいそうです。

草野町の歴史

草野氏の入国

平安時代末期、長寛2年(1164年)草野永経(ながつね)が肥前国(現在の佐賀県と長崎県)から筑後に入国し、竹井城に居城します。上記の通り草野氏は源平の戦いで源氏側を勝利に導いたため、源頼朝公が文治2年(1186年)に永経の子永平を筑後国在国司・押領使に任じました。

南北朝時代

延元3年(1338年)後醍醐天皇の皇子懐良親王(かねながしんのう・かねよししんのう)
が征西大将軍として派遣され、(日本3大合戦の一つ)筑後大保原の戦いで少弐頼尚を破り、大平16年(1361年)に大宰府を制圧します。

懐良親王については当ブログで、親王をご祭神としてお祀りされている、久留米市の「宮ノ陣神社」の記事を掲載しております。よろしかったらそちらもご参照ください。

文中元年(1372年)北朝の今川了俊に大宰府を奪われ、高良山で抗戦するもうまくいかず、
弘和3年(1383年)親王が亡くなると南朝は衰退し、明徳3年(1392年)南北朝和議が成立、南北朝時代は終焉を迎えます。

この南北朝の戦いの中、草野氏は前期は北朝側(足利尊氏方)として戦い、文和2年(1353年)からは南朝側について菊池武光から軍忠状の証判を得ました。

戦国時代

戦国末期、天正5年(1577年)草野氏の末裔草野家清は高良山の上に発心(ほっしん)城
を築城し、天正12年頃大友宗麟に背いた家清は3年もの間熾烈な攻撃を受けますが、落城しませんでした。そのため九州千早城とも言われているそうです。

草野氏の滅亡

天正14年(1586年)島津軍が筑後を手中に収めたため、その翌年秀吉が島津を討伐するため九州へ進軍。島津氏が秀吉に降ると、家清は肥後一揆に加担した疑いにより命を落とし、天正15年(1587年)草野永平以来400年間耳納山麓を治めていた草野家は滅亡しました。

草野氏滅亡後の久留米市と草野町

そののち、天正15年(1587年)小早川秀包が久留米城に入国しますが、関ヶ原の戦いで
西軍に参加、負けてしまいます。慶長6年(1601年)田中吉政が入国、大本山善道寺等多くの寺社の再建を行います。その後、有馬豊氏が入国し草野町は再び活気を取り戻しました。
                    (参考須佐能袁神社公式サイトより)

桔梗猫
桔梗猫

ざっと草野氏の歴史を振り返ってみましたがいかがだったでしょうか?
一つの小さな神社から壮大な歴史が見えてきてとても興味深いですよね。

ご朱印

須佐能袁神社ご朱印
須佐能袁神社のご朱印

須佐能袁神社のご朱印です。お賽銭箱の横に書置きであります。

ちょっと足を延ばして

久留米市世界のつばき館

須佐能袁神社から久留米方面へ少し行くと、「久留米市世界のつばき館」が左側に見えてきます。
車で2分ほど。徒歩ですと9分から12分ほどです。


この辺は国登録文化財である草野歴史資料館山辺道文化館など、歴史に触れられる古い建物があり、散策にぴったりのエリアです。
ただ車道が狭いので散策される時はお気を付けくださいね。

さて、今回は「世界のツバキ館」をご紹介します。
ちょうどこの記事を追記しているのが2023年3月で、「久留米つばきフェア」が市内の二か所で行われており、ここはその一つの会場です。

  • 草野町会場:3/4(土)~3/12(日)
    久留米市世界のつばき館・久留米つばき園
  • 石橋文化センター会場:3/4(土)~21(火・祝)

草野町会場のつばきフェアは3月前半で終わりますが、その後も普通に見学できますので、間に合わなかった方もぜひ行かれてください。

世界ツバキ館外観
世界ツバキ館外観

それではしばらく世界のつばき館の椿たちをご覧ください。

この他にもたくさんの種類の椿たちがいました。まだまだ花がついてなのも多く、係の方のお話では今年は開花が遅いとおっしゃていました。

つばき館の外にも椿の木がきれいに植えてあるエリアがあり、そこも木漏れ日と鳥のさえずる音がとてもマッチしていて気持ちのよい空間になっていました。
そのエリアの椿たちもどうぞ。

最後の画像は椿ではないのですが、すぐ近くの藪で出会った黒白ハチ割れの子猫が可愛かったので(笑)

他にも本当にたくさんの椿が植えられており、ぜひとも一度足をお運びいただけたらと思います。

  • 久留米市草野町矢作490-2
  • 0942-47-1821
  • 料金:無料
  • 利用時間:9:00~17:00
  • 休館日:第3木曜日(祝日の時はその翌日)
        年末年始は12/29~1/3まで休館
  • アクセス:車・・九州自動車道久留米ICから日田方面へ15分ほど。
         バス・・西鉄バス田主丸方面行き「久留米市世界のツバキ館」下車。
         JR・・久大本線筑後草野駅から徒歩約18分

駐車場は土・日は世界のつばき館の裏にある草野小学校の運動場を開放してあります。他にも近隣に臨時駐車場がいくつかできます。
ただしこれは時期によってかもしれませんので、事前に公式サイトなどでチェックされることをおすすめします。
平日はつばき館の前に大型バス3台、普通車14台、身障者用1台停められます。

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